山カメラ考察

最初に断っておきますが、所謂カメコさん向けの記事ではないです。多くの制約を受ける中でベターな環境を整えるにはどうしたらいいかという話をしたいと思います。カメラ好きのみなさんは戻るボタンを押した方がいいでしょう。

山で使えるカメラってどんな装備になるのか

登山といってもスタイルは様々なので、今回はメインは山で写真も撮っていくというスタイルです。ターミネーターばりの体力がある方や最高の一枚を撮るために山に登るんだというスタイルは今回考慮してません。

欲張りセット

そうすると単純に言えば軽くてコンパクトで撮りたいものをボチボチ撮れてタフ、そんな感じです。欲張りセットじゃねーか!と突っ込まれそうですがそうです。山に登って疲れてくるとカメラを投げ捨てたくなります。なので、ボチボチ撮れるというとこだけ妥協です。

レンズ交換は甘え

さらにレンズ交換しようという考えは捨てます。晴れててホコリも少ない環境ばかりではないからです。風雨に晒され、季節によっては雪が振り続けます。もっと酷いと猛烈な横風を受けます。環境はマイナス10度とかザラ。ですので、レンズは一本でいきます。

めざせ1kg

一番つらいのは重いことです。カメラが重いばっかりに行きたい場所に辿り着けなきゃ意味がありません。

レンズどうしよう問題

焦点距離

山といえばパノラミックなドカーンとした画が欲しくなります。遠目に見える山や稜線をぎゅっと収めることもしたいです。BCであれば一緒にいく友人のかっこいい滑走を収めたくなります。なので理想を言えば16〜200mmくらいをカバーしたいです。

暗所耐性

意外と薄暗いシチュエーションが多いです。明け方・日暮れはシャッターチャンスですし、樹林帯は暗いです。さらにツリーランをするライダーを撮ろうと思えば薄暗い上に爆速で動いてるものを不安定な足場で撮ることになります。ですのでやはり明るさを完全に捨てて軽量に振るというのも限度はあります。

問題は山積みですが現代技術は素晴らしい

山で使いたいカメラの要件を全て満たすのは非常に難しいということをここまでで並べ立ててみました。実現を考えていたら、あれ?もしかして今の技術ってすごくね?というかすごい瞬間に立ち会ってるんじゃね?などと思い至りました。

画素数の暴力

まずレンズを軽量コンパクトにする一番簡単な方法はテレ端を短くすることです。幸い今のカメラは凄まじい画素数を誇るものが出てきています。要するにクロップすればいいのです。デジタルズームなんてけしからんと言うのはさすがに今日の状況を鑑みると前時代的ではないかと思います。

本題:センサー(ソフト)の進歩はすごい

本当に書きたかったのは実はこれです。カメラをやっている人ほど現代技術に実はついていけてないのではないだろうかと思うようになりました。そして何より物理だけで考えてはいけない時代なのだなと。

画素ピッチ

画素ピッチが大きければ1画素が受ける光量が増えてノイズ耐性が高くなるというのは定番の理屈です。ただ現在ではソフトウェアの進歩が凄まじいように思います。ノイズが入ってもそれを軽減する技術は全然売り文句にもスペック表にも出てきませんが、各メーカーしのぎを削っているようです。昔のように物理現象だけでカメラは動いていない、ということを今後どんどん思い知らされていくでしょう。そうするとピッチより画素が複数あって情報を多く持つほうが有利というのもアリです。

スマホはいい例で、あの小さいレンズとセンサーで薄暗闇でもそれなりの画を撮ります。一昔前は塗り絵と揶揄されていましたが、ソフトウェアの力をこれでもかというほど使っています。

というわけで、これからのカメラを考える時には最早物理的なスペックだけ見ていてもそれは蘊蓄おじさんになってしまうだけで意味はないでしょう。もう一般消費者如きではカメラの性能は語れないのだなとも思います。

画素数

ノイズと画素数はせめぎ合ってきましたが、ノイズ解消をソフトがどんどんやってくれるようになった今パワーバランスは崩れたといっていいでしょう。であれば画素数が多くたって値段以外は問題ありません。値段以外…

センサーサイズとコンパクトさ

長くカメラ界隈で殴り合いの道具になってきたセンサーサイズですが、システムの大きさとも大きく関係してくるのではないかと思います。当たり前じゃねーかと言われそうですが、違うのです。

画素がどんどん増えていくとクロップ耐性が昔では考えられないほど伸びていきます。そうなった時、光学系が望遠を担う必要性が薄れて行くのではないかと思います。

クロップを考察する

ライカQ3、もっと言えばRX1の路線の話になります。デジタルズームでどれだけいけるのかという話になりますが、これは画素がどれだけ残るかという話とセットです。

人間を辞めない限り必要な画素には上限がある

もしかするとすべての写真をA1サイズで印刷してる猛者もいるかもしれませんが、それは変態すぎるので考慮しません。となれば1000万画素も残れば十分でしょう。そもそも人間の網膜にある視細胞の数は決まっています。つまるところこれが人間が視れる精細さの限界です。そしてこれこそが確信の話。

もう10年以上も前ですがiPhoneにRetinaディスプレイが搭載されました。Retinaは網膜という意味です。人間の目ではあれ以上の精細さは見れないから、という由来が名前になりました。つまり10億万画素だー!と騒いだところで人間が使えるレベルを遥かに突破してしまっています。技術が人間を超えすぎてます。

なので、通常用途であれば1000万画素もあれば十分です。A3で印刷するとしても2000万画素がいいところでしょう。

膨大な画素を何に使えばいいのか

クロップです。デジタルズームです。

小型フォーマットはおそらく消えていく

デジタルズームが写真趣味だとしても実用的なレベルに来ています。そしてこの力は画素数によって上下します。画素数が多くあればレンズのテレ端は短くてよく、レンズはコンパクトに作れます。

そう、MFTが目指したコンパクトな光学系という目標が大型センサーと莫大な画素によって逆に達成されてしまうことになるのではないかと思います。APS-Cも同じ運命でしょう。

150mmが欲しかったらどうするか

2000万画素のセンサーを使っている場合、全て光学となるので150mmは光学が担います。1000万画素残すとして110mmは必要になる計算です。

6000万画素のセンサーであれば65mmになります。クロップして1000万画素を残して150mmの画角が得られます。

ではGFXのように1億画素があればどうか、45mmの光学系で達成できます。

このように画素数が伸びれば伸びる程最終的に得られる解像度と画角はコンパクトなレンズで達成されてしまいます。

ワイド端はもっとすごい

画素数を全てフルに活かしますから元が2000万と10億では勝負になりません。ノイズ耐性すらソフトウェアの処理で画素の多さを活かせるなら負けてしまうことになります。

画素数にも限度はある

当然センサーの面積に乗る量は決まってます。なので大きければ単純にアドバンテージになるでしょう。筐体が許すサイズの大きなセンサーを持っていることは単純に有利です。

結論

話を戻しますが山道具としてのカメラです。レンズはワイド寄りに振った標準ズームで70mm程度まであり、画素は6000万程度あればいいです。そうすればレンズ交換をすることなしに150mm程度までの画は撮れます。

あと、この作戦の有利なところはデータとしては70mmのままですから後で構図をいじれます。全部光学にやらせるとそれができません。さらに先述しましたがワイド端では圧倒的画質を得られます。

今のところこれを満たせるのはα7CRと20-70/F4でしょうか。GFX100RFも気になりますが、光学ズームを完全に捨てているとなるとちょっと柔軟性の面で一歩及ばないでしょうか。階調を重視するならありかもしれません。ワイコン、テレコンがもしあったとしてもレンズ交換と似たようなもんですしね。ただ1.5億〜2億画素達成されるとそれすら超越しそうなので今後のFUJIFILMにとって象徴的なカメラになるかもしれません。

雑談

お世話になっているカメラ屋さんと話していてこれまでの常識は木っ端微塵になっているね、などとGFXを肴に話していて思い立った話です。それからクロップ関係の数字など計算しました。一般人の私にはわからない世界ですが、本当の意味でカメラを楽しめてるのは開発者だけかもしれません。使う方は極端な話すればダイヤル3つとカメラの位置調整、あとは買い物しかやることないなぁと個人的には思っています。

それにしてもRX1誕生はSONYの先見性があってのものだったのかなぁ、などと今にして思ったりします。初代は13年前で2400万画素センサー時代です。それでここまで考えていたのだろうか。今はQ3が成功しGFXが殺る気満々アップしています。

逆に、各社APS-CやMFTにそれほど本気のレンズを出さないのはこういう未来を想像しているからかもしれません。利点がほぼ無いとなれば開発も難儀でしょう。まぁ私の考察が合っているかはわかりませんが。

ここまで書いといてなんなんですが、実はOLYMPUSユーザーでもあります。E-M5のあの筐体はとてもよかったなぁと今でも思っていて、まだボディもレンズ資産も残している程です。でも将来性はどうかな…。本当に300mm〜をコンパクトに持つというアドバンテージで生きる感じになってしまうだろうか。センサーサイズとマウントで将来が決まってしまうカメラ業界、本当に恐ろしいです。

ちょろっと先述もしましたが、もうそろそろカメラの蘊蓄を消費者が語り合うことはなくなっていくのではないでしょうか。実は既視感があって自作PC界隈がそんな感じだったなぁと。流行りのピークはもう30年前くらいです。まだ全体的にスペックも足りず、CPUはシングルコアでクロックの高さがイコール性能でした。ああいう足りない中で、一般人にも理解できる数字が並んでると面白いんですよね。今はコア数も増えて、ソフトはマルチスレッドに対応するようになりました。CPUはおまけでむしろGPUが主役のようになり、GPU側はボード一枚です。PCの中に2台のPCが突っ込まれているような状態。もっと言えばスペックが過剰になり適当に組んだってやりたいことはだいたいできます。そうなると蘊蓄語り合う場面って消滅するんですよね。カメラにもそういう時代が来たのかなぁと感慨深くなります。あと自分がおっさんになったんだなって悲しい気持ちになりました。

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